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北九州市の歩み 公害都市から環境都市へ

北九州市は1963年2月10日、門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の5市が合併して発足しました。世界初の五市対等合併として話題を呼び、旧5市の議員が任期を延長して参加した初市議会の出席人数は、総勢188人。マンモス市議会と呼ばれ、大きな話題となりました。

明治の官営製鉄所であった八幡製鉄所の創設以来、重工業を中心に栄えてきた北九州市の歩みは公害克服から環境都市へと変貌する道のりでもあります。空は工場の煙突から出るばい煙で覆われ、大勢のぜん息患者が現れました。工場排水が垂れ流しになった洞海湾は大腸菌も住めないと言われ、死の海となってしまったのです。北九州で公害対策を求めて最初に行動を起こしたのは、子どもの健康被害をおそれた母親たちでした。「青空が欲しい」をスローガンを掲げて市民運動をおこし、大気汚染の状況を調査し、企業や行政に改善を強く求めました。この住民運動をきっかけにマスメディアも公害問題を取り上げるようになり、企業や行政は公害対策強化への取り組みを始めました。

企業は汚染物質の除去処理施設の設置などを行って排水処理・排ガス処理などの排出口での対策技術を高め、さらに製造施設や工程を改善し省資源・省エネルギーを徹底させた低公害型生産技術を導入するといった対策を行いました。

行政では、公害監視センターの設置や研究機関など公害対策組織の整備を進めると同時に、公害防止対策に必要な財政措置や規制制度づくり、企業との「公害防止協定」の締結などの環境対策を実施しました。

市民、企業、行政が一体となった取り組みが実を結び、1980年代には環境再生を果たした奇跡のまちとして国内外から注目を集めています。現在も世界の環境首都を目指し、さまざまな取り組みを進めています。

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